ひな祭り 桃の節句特集

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雛人形の歴史

最初役目を終えると捨てられていた人形(ひとがた)の形代が、「飾り雛」として飾る人形に変わり、江戸時代になると、平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形が登場し、どんどん形を買え現在の雛人形になりました。

形代(かたしろ)→天児(あまがつ)・這子(ほうこ)→立雛・紙雛→室町雛→内裏雛→寛永雛→享保雛→次郎左衛門雛→有職雛→古今雛・・・現代のおひなさま

「形代」
(かたしろ)
紙人形で自分の体をなで、自分の心と体の穢れを人形に移しとり、不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うもの
天児(あまがつ)
這子(ほうこ)
幼児の枕辺におかれ、幼子の病気や災厄をはらい、無事な成長を祈りました。
立雛・紙雛
(たちびな・かみびな)
天児(あまがつ)が男子、這子(ほうこ)が女子で一対の立雛になりました。
紙製が登場したのもこのころで、平面的な造りなので、ひとりで立つことは出来ず、雛壇や屏風に立てかけて飾っていました
室町雛
(むろまちびな)
現在の内裏雛に近い雛人形の形式で、男雛と女雛とも左右に手を広げて立っています。
寛永雛
(かんえいびな)
江戸時代の三代将軍家光時代の寛永頃(1624~1644)に作られたものとされています。
男雛は12cm、女雛は9cm余りと、小型の雛人形です。
享保雛
(きょうほびな)
江戸時代の享保年間(1716~1736)に流行した雛人形です。
寛永雛をより豪華により大型化したものです。
初期は高さも13cm~18cmと小型なものでしたが、 後に45cm~60cmくらいの大型の雛人形にかわっていきました。
享保雛は、「奢侈禁止令」などで贅沢すぎると幕府から取締りを受けました。
次郎左衛門雛
(じろうざえもんびな)
京都の雛屋次郎左衛門が創始したといわれ、18世紀後半の江戸でもてはやされました。公家や上級の武家の間では流行とかかわりなく、長く重んじられました。
有職雛
(ゆうそくびな)
公家社会で飾られたお雛様で、 装束は有職の作法に従って忠実に再現されています。
このお雛様は有職の伝統を代々受け継いでいる、山科家と高倉家で調えられたことから、山科雛とか高倉雛とかも呼ばれています。
古今雛
(こきんびな)
江戸時代の明和年間(1764~72)頃に、有職雛の形式で作り上げたものです。
「古今集」などの王朝への憧れから名づけたとされており、「古今雛」の名称で呼ばれています。


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